私が両親に、結婚したいと言った時は、
まだ21歳でした。心配した両親の元に、
「おたくのお嬢さんをうちにください。」と、お義父さんが、頭を下げてくださって結婚が決まりました。
主人ではなく(笑)お義父さんが言ってくださったおかげで、「あのお義父さんなら、安心だね。」と、認めてくれました。
貯金が無かった私達は、結婚式はしないと、言っていましたが、お義父さんがホテルを手配してくださり、豪華な式を挙げてくださいました。
私達は、主人の実家近くに住んでいましたが、お義父さんが亡くなる一年程前に、家を二世帯住宅に改築するから、
同居しようと、言われました。
お義母さんは、反対しましたが、
お義父さんが、改築を強行して(笑) 一緒に住むことになりました。
思い返せば、その頃にはもう〜
体調が悪かったんだと思います。
仕事では、取引や、接客・電話対応で、分刻みの仕事をこなしていて、常に忙しくしていましたし、休みの日は、ゴルフや、会合で、いつ休んでいるのだろうと思っていました。
そんなお義父さんが、唯一、孫の顔を見ている時だけは、表情が緩んでいました。
「あんな顔見たことない‼️ 」と、
よくお義母さんが言っていました。
一緒に住んで、孫と過ごす時間が増えたことは、私が唯一できた親孝行だったと思います。
長女は、初孫ということもあって、溺愛されました。お義父さんが、長女を抱っこしたいのに、長女は、お義母さんにくっついて離れずに困りました(^◇^;)
お義父さんが、何度も抱っこしようとすると、「ばかじい〜」と、長女が言って逃げていました。
お義母さんが「外では社長、社長としか言われないのに〜孫には敵わんね〜。」
と、言って、笑っていました。
そんな楽しい生活は、一年程しか続きませんでした。
病気で、あっという間に、お義父さんは、亡くなってしまいました。
お義父さんが、病気の事を誰にも言わなかったのは、大きな仕事を抱えていた事が大きいと思います。
何年もかかって、ようやく成果が出るという時でした。
私達は、お義父さんの死を悲しむ事より、その大きな仕事を、続けさせてもらえるように動く事に必死になりました。
葬儀の翌日にも、そう言う話し合いに行った記憶があります。
幸い、仕事は、続けさせてもらえる事になり、お義父さんが長年かけてやってきた仕事は、実を結びました。
それから二年が過ぎて、長男が生まれました。病院で、出産予定日を聞いたら、お義父さんの誕生日でした。
嬉しくて、お義母さんと一緒に泣きました。
お義父さんの存在を強く感じた出来事でした。
息子には、折に触れ、お義父さんの話をしました。
そして息子は、お義父さんの意志を受け継ごうと、頑張っています。
お義父さんの姿は、知らなくても、
お義父さんの心は、孫に伝わっています
と、元旦に家族で、
お義父さんのお墓に報告しました。
今朝、弁当が出来上がった頃に、息子が起きてきて、腹減った〜と言って、この弁当を食べてしまいました(^◇^;)
仕方ないので、また弁当を作りました。
食欲があってよろしい(⌒▽⌒)
今日から仕事始めです。気を引き締めていきましょう。読んで頂いてありがとうございました。