naomi1010’s diary

おばちゃんの日常

お義父さん

私が両親に、結婚したいと言った時は、

まだ21歳でした。心配した両親の元に、 

「おたくのお嬢さんをうちにください。」と、お義父さんが、頭を下げてくださって結婚が決まりました。  

 

主人ではなく(笑)お義父さんが言ってくださったおかげで、「あのお義父さんなら、安心だね。」と、認めてくれました。

 

貯金が無かった私達は、結婚式はしないと、言っていましたが、お義父さんがホテルを手配してくださり、豪華な式を挙げてくださいました。

 

私達は、主人の実家近くに住んでいましたが、お義父さんが亡くなる一年程前に、家を二世帯住宅に改築するから、

同居しようと、言われました。

 

お義母さんは、反対しましたが、

お義父さんが、改築を強行して(笑) 一緒に住むことになりました。  

 

思い返せば、その頃にはもう〜

体調が悪かったんだと思います。

 

仕事では、取引や、接客・電話対応で、分刻みの仕事をこなしていて、常に忙しくしていましたし、休みの日は、ゴルフや、会合で、いつ休んでいるのだろうと思っていました。

 

そんなお義父さんが、唯一、孫の顔を見ている時だけは、表情が緩んでいました。

「あんな顔見たことない‼️ 」と、

よくお義母さんが言っていました。

 

一緒に住んで、孫と過ごす時間が増えたことは、私が唯一できた親孝行だったと思います。

 

長女は、初孫ということもあって、溺愛されました。お義父さんが、長女を抱っこしたいのに、長女は、お義母さんにくっついて離れずに困りました(^◇^;)

 

お義父さんが、何度も抱っこしようとすると、「ばかじい〜」と、長女が言って逃げていました。

お義母さんが「外では社長、社長としか言われないのに〜孫には敵わんね〜。」

と、言って、笑っていました。

 

そんな楽しい生活は、一年程しか続きませんでした。

 

病気で、あっという間に、お義父さんは、亡くなってしまいました。

 

お義父さんが、病気の事を誰にも言わなかったのは、大きな仕事を抱えていた事が大きいと思います。

何年もかかって、ようやく成果が出るという時でした。

 

私達は、お義父さんの死を悲しむ事より、その大きな仕事を、続けさせてもらえるように動く事に必死になりました。

 

葬儀の翌日にも、そう言う話し合いに行った記憶があります。

 

幸い、仕事は、続けさせてもらえる事になり、お義父さんが長年かけてやってきた仕事は、実を結びました。

 

それから二年が過ぎて、長男が生まれました。病院で、出産予定日を聞いたら、お義父さんの誕生日でした。

嬉しくて、お義母さんと一緒に泣きました。

お義父さんの存在を強く感じた出来事でした。

 

息子には、折に触れ、お義父さんの話をしました。

そして息子は、お義父さんの意志を受け継ごうと、頑張っています。 

 

お義父さんの姿は、知らなくても、

お義父さんの心は、孫に伝わっています

と、元旦に家族で、

お義父さんのお墓に報告しました。

 

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今朝、弁当が出来上がった頃に、息子が起きてきて、腹減った〜と言って、この弁当を食べてしまいました(^◇^;)

 

仕方ないので、また弁当を作りました。

食欲があってよろしい(⌒▽⌒)

 

今日から仕事始めです。気を引き締めていきましょう。読んで頂いてありがとうございました。