『建国記念の日』の今日も、よく晴れました。体調に気をつけて、今日も明るくいきましょうヽ(*´∀`)
寒さが少し和らいだとはいえ、寒波から、冬の寒さに戻っただけで、まだ油断できません。母が暮らす施設の施設長から、母が、インフルエンザに感染して、薬を処方してもらったとのこと、それでも熱は無く、食事は完食できたと、LINEで知らせて下さいました。母が、食事をしている写真が添付されてあって、安心しました。私は、母が、回復してから、会いに行くことにします。
母の様子を、よく、LINEで、知らせて下さるので、助かります。この前は、髪をカットしている時の写真でした。ほのぼのした気持ちになります( ´ ▽ ` )
私は、離れた場所で、写真を見ているだけなので、母が、元気で良かったと思えますが・・スタッフの皆さんは、大変なご苦労だと思います。母のように、介助が必要な人のお世話をしているだけではなく、抵抗する(ご飯食べたくないとか、お風呂に入りたくないとか・・)人を、宥めたり褒めたりしながら、作業を勧めなければなりません。母は、ハッキリモノを言う人なので、「これは食べん!」とか、「風呂入らん!」とか、言ってるだろうと、容易に想像できます。本当に、スタッフの皆さんには、いつも、頭が下がります。
私が、施設を訪ねた時は、私にも、笑顔で、話しかけて下さって、忙しい中で、母の様子を教えて下さいます。いつも笑顔で、仕事をしていらっしゃる姿を見ていると、私にはできない!と思います。帰り道では、自分は、なんて、冷たい人間なんだ! と、落ち込みます。
それでも、私が、施設を選んだのは、施設長との出逢いがあったからです。父が病に倒れた時、初めてお会いしました。その時、介護のことを何も知らなかった私に、ゆっくり、丁寧に、話をして下さって安心しました。そして、まだ、その当時、元気だった母が、父の世話をできるのか、今後、どうした方がいいのか相談しました。施設長は、「心配なことがあれば、いつでも電話して下さい。」と、仰って、携帯の番号を、教えて下さいました。
それから、父の入院、転院、その間に母が倒れ、二つの病院を行き来する日々が続きましたが、その後、父の病気が進行して、回復の見込みがないとわかった時、入院先で、延命治療するかの決断を迫られた時、病床の母に決断させるわけにはいかず、私が決断する!と、覚悟が決まりました。そして、そういう状態の父を、「受け入れます。」と、施設長が、背中を押して下さって、私は、父を退院させ、施設に戻りました。父は、昔から、延命を望んでいませんでしたから、私の言葉で、施設長に伝えました。
施設に戻った日から、父の部屋では、一日中、ベートーベンが流れていました。施設長が、「身体が動かなくて、声が出せなくても、耳は、聞こえていることがあるんですよ。」と、仰って、父の好きなクラシックを、ずっと、流し続けて下さいました。呼吸がゆっくりになってきた日に、家族全員を呼んで下さって、家族みんなで、ベートーベンを聴きながら、昔話をしている中で、父は永眠しました。「あらっ、お父さんの好きな7番と一緒に・・。」と、言うくらい、穏やかな最後でした。『終わりよければすべてよし。』と、生前、父が、よく言っていたとおりの最後でした。
自分の笑顔は、そばにいる人の願い✨です( ´ ▽ ` )ノ
昨日の晩御飯
シチュー・胡桃パン・サラダ・トマトでした。「シチューを、たっぷり食べたい♬」と、娘が言うので作りました。バターをたっぷり使って、豆乳でホワイトソースを作り、仕上げに、生クリームを入れました。濃厚なシチューになりました。胡桃パンを浸して食べました。娘は、お代わりして食べてくれました。シチューでお腹が満たされて、カラダが温まりました。トマトが、やっと、少し安くなったので買いました。野菜は、日によって値段が違うので、買う時は、しっかり確認しましょう(*´∇`*)
今日も読んで頂いてありがとうございました。慌てずにいきましょう。今日も一日お疲れ様です(=^ェ^=)