今日も晴れていて、部屋にいると、暖かい陽射しが入ってきてエアコンが要りません。全国的には、寒い日が続いているようですね。晴れが続くだけでも、有難いことだと思います。今日も明るくいきましょう(* ̄∇ ̄)ノ
昨日は、長女が「これ、もらったから食べよー。」とバームクーヘンを持ってきてくれたので、紅茶を入れて、三人で食べていると、久しぶりに、義母が来ました。「未使用のカッターシャツが出てきたから、K(息子)が来たら渡してね。」と言って、わざわざ、自転車に乗って持ってきてくれました。80歳を過ぎても、変わらず元気でいてくれて、娘と息子のことを、今も心配してくれて、有難いと思います。四人でお茶を飲みながら、話が弾みました。
長女が生まれてから、義母の家で同居していました。初孫ということもあり、祖父母には、とても可愛がってもらいました。生まれてすぐに、七段飾りの雛人形を買ってくれたことから始まり、洋服やおもちゃ、絵本・・・たくさん買ってもらいました。その頃義父は、プロ野球の年間指定席を持っていたので、野球を見によく連れて行ってくれました。会社を経営していた義父は、とても厳しい人でしたが、娘と一緒にいる時は、表情が崩れてしまうほど、笑っていたのを憶えています。娘がいてくれたおかげで、私まで、随分、贅沢な思いをさせてもらいました。
でも、そんな楽しい生活は、長くは続きませんでした。義父に癌が見つかり、入院しましたが、すでに末期の状態で、入院して、たった一週間ほどで亡くなってしまいました。まだ50代の若さでした。義父自身は、病気を知っていて、私たちには言わなかったのだろうと思います。亡くなる直前まで仕事をしていました。自力で動くことができなくなった時、初めて「病院に行く」と言いました。家族にとっては突然のことで、受け入れるまでに時間がかかりました。当時、義父は、大きなプロジェクトを抱えていたので、誰にも言わずに、仕事を続けていたようです。義父が亡くなった後も、そのプロジェクトは続けられるようにしてありました。亡くなる直前まで病室で電話をしていた姿が忘れられません。
数年後に息子を授かりましたが、出産予定日が、義父の誕生日で、それを聞いた時、すぐに義母に知らせました。「お父さんが生きとったら、喜んだろうに。」と義母は言って泣いていました。だから、息子は、義父を知りません。でも、ことあるごとに、私は、義父の話を、息子にしていました。どんなに凄い人だったのか、どんなに慕われていたのか・・・息子の高校の三者面談の時、初めて息子の夢を聞きました。「じいちゃんみたいになりたい。」と言いました。
私は「お前には無理!」と即答しました(笑)まさか、義父が歩いた道を目指しているとは・・・全く想像していませんでした。大学を受験するときも、やっぱり私は「無理だから。他の学部を考えなさい。」と言いました。その時もまだ、私は、無謀だと思ってました(笑)その時に、息子は、「自分がやりたい勉強がしたい。」と言いました。毎日、図書館が閉まるまで居て、勉強していることも、たくさん本を読んでいることも、その時初めて知りました。
息子は、私の反対を聞かず受験しました。合格発表の日は、私に連絡するより先に義父の墓に行って報告したようです。後から聞きました。「心配して連絡待ってたのに!」と言ったら「じいちゃんが一番だろ!」と言われました(笑)就職が決まった時も、合格証を義母に見せに行きました。二人で義父の墓参りをしたようです。
今住んでる所から、義母の家も、義父の墓も、近い所にあって有難いと思います。義父は生前に墓を決めていたようです。義父のスーツのポケットにお寺の住所が書かれた紙が入っていたのを義母が見つけて、お寺に連絡したそうです。それまで行ったことのないお寺でしたが、義父が亡くなったのをきっかけに、そのお寺に、お世話になるようになりました。今は、娘達と、時々行きますし、お正月は、義父の墓参りで一年が始まります。
離婚はしましたが、義両親とは、繋がっていて、今でも、よくしてもらっています。義父の意志は、息子が引き継いだんだと思います。息子の体格が義父にそっくりで、義父の服を息子が着れるので、昨日も、シャツを持ってきてくれました。義母にとっても、嬉しいことだと思います。
人は、過去と現在と未来に生きると言いますが、義父は、私の心の中に生きているんだと思います。
家族は、繋がっていきますね(〃⌒ー⌒〃)ゞ
今日のおやつ❣️
娘がもらったバームクーヘン、早速切ろうとしたら、娘が「せっかくだから、写真撮ったら?」というのでツリーの絵皿と一緒に撮りました。こうして撮ると、お洒落です〜。蜂蜜たっぷりで、美味しかったです(*´∀`)ノ
今日も読んで頂いてありがとうございました。体調を整えて、師走を乗り越えましょう。今日も一日お疲れ様です( ̄∇ ̄*)ゞ