naomi1010’s diary

おばちゃんの日常

生きること

大人になって社会に出たら、理不尽なこと、不平等なことばかりです。と、先日書きましたが、大人になる前の、純粋な子どもの命が奪われてしまいました。

十数人を傷つけるのに、たった19秒という、防ぎようのない、止めようのない事件の前には、無力でしかありません。

 

どれだけ愛情を注いでも、どれだけ大事に育てても、一瞬で奪われてしまう現実を、知らされました。親にとって、これほど辛くて悲しいことはありません。見送りに来ていたお父さんも、犠牲になりました。家族は、これからどうやって生きていけばいいのでしょうか。答えがわかりません。慰めの言葉がみつかりません。

 

他人事ではありません。事件も、事故も、無くなることはありません。

その度に、なんて酷いこと、なんて辛いことと思い、悲しみがこみ上げてきます。

 

もしかしたら・・・今、生きていることが奇跡なのかもしれません。

 

いつ、何が起こっても、不思議ではありません。何処にいても、何をしても、誰といても、安全とは言えません。一瞬の出来事を防ぐことは出来ません。

こういうニュースを見る度に、生きていることの意味を考えさせられます。

 

それでも毎日を生きているのは、忘れることができるからです。

人間は、覚える事と、忘れる事の、両方の能力を持ち合わせています。

辛いこと、悲しいことの中だけでは、生きていけません。一瞬でも、一時でも、辛い事を忘れる事によって、日常生活を繰り返しています。

 

学校に行けば、先生や友達が居て、会社に行けば上司や同僚が居て、人の中に身を置いていると、やることに追われて、その事に集中することが出来ます。

家に帰れば家族が居て、夕食の支度や、家事に追われて、日々の生活で、頭はいっぱいになります。そういう日常の中では、辛いこと、苦しいことは忘れています。

 

人間は、苦しみの中に、悲しみに中に、ずっと身を置くことはできません。

辛い思いは、一生続くことはありません。辛い中にいても、どん底に中にいても、一瞬でも前を向けたら、一瞬でも笑顔になれたら、それを手がかりにして、生きていけます。

 

幸せは、待っていてもやってきません。自分の足で、自分の手で掴みにいかないと見えてきません。

それは、子どものため、家族のため、恋人のため、友達のため・・・誰かのためなら、人は頑張れます。生きる勇気が沸いて来ます。

 

生きる権利を奪われた人のためにも、残された人間は、生きている間(生かされている間)は、その一瞬を、精一杯生にきる義務があると思います。いい加減に生きていたら、申し訳ない気がします。

 

辛い事を忘れることは、人間の生きる術でもあります。

 

二度と同じことが起きないように、忘れてはいけないことですが、日常の生活では、自分に出来ることに精一杯打ち込んで、生き抜いていくことが、生きている人間の使命だと思います。

 

心を強くして、命を懸けて、大切な家族を守っていかなければなりません。

 

一度きりの人生です。いつ、終わりがくるのかは、誰にもわかりません。

今日一日を、今の一瞬を、大切に生きましょう。

 

生きることはたいへんです。辛いです。苦しいです。それは、誰でも同じです。

誰でも、心の中では、苦しみや悲しみと戦っています。

それでも、元気に笑顔でいることが、生きることです。

 

幸せは自分で見つけて下さいね(*⌒∇⌒*)

  

 

昨日の晩御飯
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牛肉とごぼうのしぐれ煮・アスパラと人参とベーコンの炒め物・揚げ出し豆腐・たまごスープ・りんごプチトマトでした。

牛肉とごぼうは相性がいいです。急に揚げ出し豆腐が食べたくなって、木綿豆腐を買いに行きました。揚げたての豆腐に、七味をちょっとかけて、最高です。

 

今日も読んで頂いてありがとうございました。今日も一日、無事に過ごせますように✨